人生って、自分のものだったんだ。会社を辞めて取り戻したのは、金より時間だった

古今の知恵・処世術

会社にいる間、電話の一次対応は、だいたいぼくだった。

帰るときは、自分の携帯に転送をかける。

そこから先も、夜の定時連絡、朝の定時連絡、夕方の定時連絡、土日祝の連絡。ぜんぶ受けて、その場でさばく。

長時間労働で、休みもない時期があった。理屈のうえでは、寝ていても電話は鳴る。

で、実際に、寝てるときに鳴ったことがある。

これは「休めなかった」という話とは、ちょっとちがう。休めるか休めないか以前に、勤務時間の外にいても、いつ引き戻されるか分からない。

このころのぼくの感覚を一言で言うと、

「逃げ場がない」

これだった。

長く働かされること自体もしんどかったし、勤務が終わってもいつ呼び戻されるか分からないのも、同じくらいしんどかった。どっちもだ。

会社を辞めて、いちばん最初に「あ、ちがう」と思ったのは、収入でも、田舎の物価でもなかった。

電話が鳴らない。

ただそれだけのことで、びっくりするくらい清々しかった。

でも、電話が鳴らないというのは、まだ入口の話だった。辞めて本当に大きかったのは、生きている時間を何に使うか、それを自分で決められるようになったこと。ここは、あとでもう一度書く。

収入を増やすより、心配を小さくする

辞める前から考えていたのは、いきなり大金を稼ぐことじゃなかった。

長年勤めた警備会社を辞める。使える退職支援は使う。就業促進手当みたいな、使える制度は使う。実家のある地元に戻る。借金の負担を圧縮する。生活コストを落とす。金の心配が生活に占める割合を、下げる。

要はその手の、生活の構造そのものの組み替えだった。制度の細かい話は、ここでは主役にしない。

(このへんの生々しい数字の話は別の記事に書いたので、繰り返さない。)

金の心配って、収入が増えれば消えるものだと思われがちだけど、ぼくの場合はそうじゃなかった。稼ぎを増やすより、心配のほうを小さくするルートがあった。

そして、心配が小さくなったぶん、金策に回していた時間が空く。今思うと、ここが効いた。

言っておくと、これはFIRE礼賛でも、移住のすすめでもない。「田舎に行けば誰でも安く暮らせる」という話にもならない。

辞めた翌日、飛行機に乗った

時系列だけ、はっきりさせておきたい。

辞める前後で引っ越しの準備を進めて、退職日の翌日には、飛行機で実家に戻っていた。「有給を消化しながら、しばらくのんびり」みたいな期間はない。翌日には、もう地元にいた。

で、着いて、まず何をしたか。

休んだ。

起業でも、AIの仕組みづくりでもなく、とにかく先に休んだ。

当時の感覚としては、

「自由を満喫しましたわw」

くらいのテンションだった。壮大な再出発、みたいな空気は本当になくて、電話に煩わされない生活が、ただただ気持ちよかった。

朝、誰からの連絡もなく起きられる。それだけで、しばらくは十分だった。

金を使わなくても回る部分が、増えた

しばらくして、生活まわりが目に入るようになった。

飲み水は、湧き水を汲みに行く。だからほぼタダだ。野菜や酒を持ってきてくれる人もいる。外食も、場所によってはラーメン1杯650円くらいで済む。スーパーの値札を見て、思わず顔がゆるんだこともあった。

物価が安い、という話がしたいわけじゃない。そういう記事は世の中に山ほどある。

ぼくが「へえ」と思ったのは別のところで、金のやりとりを挟まずに回っている生活の範囲が、都会にいた頃より広かった。水を買わない。もらいものがある。人との距離も近い。一個一個は小さいけど、積み上がると「稼がないと手に入らないもの」のリストが、ちょっと短くなる。

そのぶん、金の心配が頭を占める時間が、けっこう減った。

ゼロにはならない。実家暮らしでも、一定は稼がないとマズいのは今も変わらない。でも、四六時中それに追われている感じは薄くなった。

時間を気にせず、ひとつだけ作った

十分に休んだあと、最初に本気で手をつけたのが、家業でやっている施設のホームページだった。

締め切りがない。時間も気にしなくていい。

AIに相談しながら、スクリーンショットを撮って確認して、難しいところは何度もやり直して、気づいたら夢中になっていた。

完成したときは、かなりの達成感があった。うれしくて、Xにも上げた。

ここで「Web制作って面白い、もっと作りたい」となったかというと、ならなかった。他に作る必要のあるものがなかったので、HPをもっと作りたいとは今も思っていない。

大事だったのは、そこじゃない。

必要だと思ったものに、自分の時間を好きなだけ突っ込んで、最後まで形にできた。会社員の頃、細切れの時間でやっていたら、あんなに一気には入り込めなかったと思う。

「自分で組めるやん」

そのあと、AIの仕組みづくりのほうに進んでいく。

きっかけは、ちょっとした引っかかりだった。

以前から、ObsidianとCursorを使って文章を作るようなAIの使い方があるのは知っていた。

で、別のところで、「こういうAIの使い方は2〜3年先を行っている」という趣旨の話を耳にした。

ぼくは内心、

「いや、こういうやり方自体は前からあるぞ」

と思っていた。

じゃあ、自分なりにも似たような仕組みを組めるんじゃないか、と手を動かしてみた。

これがサクッとできた、という話ならカッコいいんだけど、そうじゃない。普通に時間はかかった。

AIへの聞き方を変える。ダメ。言い方を変える。ちょっと進む。また詰まる。聞き方を変える。試す。またダメ。これをずっと繰り返した。

で、あるとき腹に落ちた。詰まっても、聞き方を変え続ければ、時間はかかるけど、最後はだいたい抜けられる。

自分で試しながら、ここまで組めるやんこれ。

今こうして外部知能だの編集エージェントだのをいじっているのは、この延長線上にある。

会社員のままでも、できたのか

ここは誇張したくない。

「会社員だったら絶対に無理だった」とは、ぼくは思っていない。同じようにAIとObsidianの環境があれば、会社員のままでも、いつかは同じところに行き着けた可能性はある。

ただ、会社員時代のあの時間の使い方だと、試す→失敗する→聞き方を変える→また試す、を今と同じ回数まわすのは、かなり難しかったと思う。

自由な時間が効いたのは、「暇が増えた」ことじゃない。試行錯誤できる回数が増えた。そっちだった気がする。

人生って、自分のものだったんだ

会社を辞めて、いちばん大きかった変化は何かというと、「休めるようになったこと」ではなかった。

生きている時間を、全部、自分に使えるようになったこと。

これだった。

会社員時代のぼくは、時間の大半を、金を稼ぐために売っていた。売らないと生活が回らなかったから、それ自体は仕方ない。でも、生活コストを下げて、金の心配がゆるんだら、その圧力がゆるんだ。ゆるんだぶんの時間を、休むことにも、施設のHPにも、AIの仕組みづくりにも、好きに使えた。

そういえば、古い議論をひとつ思い出した。

バビロニア・タルムードに、雇われた人は仕事の途中でも辞められる、という議論がある。

その根拠として引かれるのが、レビ記の「イスラエルの民はわたしの僕(しもべ)である」という一節だ。タルムードはここから、人は神に仕える者であって、人間に完全に従属する存在ではない、という考え方を導いている。この議論では、雇われた人は仕事の途中でも辞めることができる、とされている。

ぼくが「へえ」と思ったのは、それが「雇い主がひどいなら逃げていい」という条件付きの話じゃなくて、もっと根本のところに「人は他人に完全に従属する存在じゃない」という線引きが置かれていたことだった。

こういう線引きの話が、ずいぶん昔からあったんだな、と思っただけだ。ぼくの退職をこれで正当化する気はないし、「会社員は奴隷だ」なんて話でもない。

辞めて最初のころ、ぼんやり思ったことがある。

人生って、自分のものだったんだ。

言葉にすると当たり前すぎて、ちょっと恥ずかしい。頭では、たぶん多くの人が分かっている。ぼくも分かっているつもりだった。

でも、電話が鳴らない朝を何日か過ごすまで、体では分かっていなかった。

金の心配は今も残っているし、この先どうなるかも分からない。それでも、朝いちばんに鳴るものがない生活を、ぼくはまだ手放していない。

この記事を書いた人
福本 幸一

首都圏の零細警備会社に約30年勤務。現場の警備員から管制・人員配置・採用・教育・クレーム対応まで一通り担当しました。退職後はChatGPTやClaude Codeなどを使い、自分の経験や文体をObsidianに蓄積して活用する「外部知能」作りを実験中。タルムードなど古今の知恵も好きです。

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