「ナイフを持った暴漢、制圧できますか?」に答える前に、考えたこと

古今の知恵・処世術

ある商業施設へ巡察に行ったとき、お客様から真顔でこう聞かれたことがある。

「ナイフを持った暴漢が来たら、制圧できますか?」

一瞬、聞き間違いかと思った。

いや、聞き間違いじゃなかった。本気の質問だった。

で、正直に言うと、その場でぼくは立派な回答なんてしていない。

当時その現場を担当していたチーフとあまり折り合いが良くなかったこともあって、「いや、それはちょっと……」みたいな感じで、お茶を濁した。

なんとも締まらない話であるw

ただ、警備員に何を求めるのかについては、当時から自分なりの線引きはあった。

そもそも、1日いくらで働いている警備員に

「ナイフを持った暴漢が来たら、身を挺して制圧しろ」

なんて教育は、ぼくにはできない。

まず自分自身の安全を守る。

そのうえで可能なら、お客様の安全も考える。

少なくとも、ぼくはそう考えていた。

だから今になってあの質問を思い返すと、そもそも「できます」「できません」の二択で考えること自体が、ちょっと違っていたんじゃないかと思う。

質問には、答える前から「前提」が入っている

「ナイフを持った暴漢を制圧できますか?」

この質問、まったく突拍子もないかというと、そうとも言い切れない。

警備員という仕事は、その性質上、地震や火災、犯罪、不審者といった非常事態への対応を想定している。実際、警備員になるための教育でも、事故が起きたときの基本的な対応や護身の方法なんかは学ぶ。

だからお客様からすれば、

「いざというとき、この警備員さんたちはどこまで守ってくれるんだろう?」

と思うのは、むしろ自然な疑問なのかもしれない。

ただ、ここで大事なのは、警備員は警察官ではないということだ。

警備員には、警察のような特別な権限が与えられているわけではない。研修などで訓練を受けてはいるけど、ナイフを持った人間を取り押さえる専門職として働いているわけでもない。

しかも現実には、決して高いとは言えない賃金で働いている警備員も多い。

そんな人に、

「暴漢が来たら身を挺して制圧してください」

とぼくは教育できない。

じゃあどうするのか。

ぼくが現場にいた頃から考えていたのは、まず自分の身を守る。そのうえで、お客様の被害をできるだけ小さくするために動くということだった。

避難を促す。警察へ通報する。危険から人を遠ざける。できる範囲で被害の拡大を防ぐ。

ぼくには、その辺が現実的な落としどころに思える。

だから今になって考えると、

「暴漢を制圧できますか?」

という質問に「できます」「できません」とだけ答えること自体、ちょっと問いがズレていたんだと思う。

本当に考えるべきだったのは、

「暴漢が現れたとき、警備員は何をするべきなのか?」

の方だったんじゃないか。

質問って、こんなふうに聞き方ひとつで、答える側が考える範囲まで決めてしまうことがある。

賢さって、答えを知ってることだけじゃないらしい

この話を考えているとき、ユダヤの知恵として紹介されている「賢い人の条件」のようなものをまとめた資料を見つけた。

原典まで遡って確認したわけではないので、あくまで「こんな言葉が紹介されている」くらいに聞いてほしいんだけど、その中に、

「的を射た質問をする」

「知らないことは知らないと認める」

という項目がある。

これ、なかなか面白い。

ぼくらはつい、「賢い人=答えをたくさん知ってる人」みたいに考えがちだけど、どうもそれだけじゃないらしい。

何を聞けばいいのか分かる。

そして、自分が何を分かっていないのか分かる。

こっちも賢さの一部なんじゃないか、と。

考えてみれば当たり前で、質問がズレていたら、いくら優秀な人に聞いても答えはズレる。

逆に、自分が何を知らないのかすら分からない状態だと、そもそも何を質問すればいいのかも分からない。

これ、仕事でもかなりある。

「分からないので教えてください」

までは言えても、

「何が分からないのか」

を自分で切り分けるところが、実は一番難しかったりする。

ぼくもそこは今でも全然うまくない。

AIに聞くときも、同じことが起きている

この「質問に前提が乗っかってる問題」、最近はAIを使っていて特に感じる。

「これ、どう直せばいい?」

とAIに聞く。

すると、AIはものすごい勢いで「直し方」を提案してくる。

そりゃそうだ。

こっちが「直す」という前提で質問してるんだから、AIも基本その土俵で答える。

でも何度かやり取りしてるうちに、

「いや、そもそもこれ直す必要あったっけ?」

となることがある。

別の方法なら、もっと簡単に目的を達成できたりする。

そういうとき、質問を少しズラす。

「これを直すには?」ではなく、

「ぼくが本当にやりたいのは○○なんだけど、別の方法はある?」

と聞いてみる。

すると、さっきまでとは全然違う答えが返ってくる。

質問が変わったんだから当たり前なんだけど、実際やってるとこれが結構大きい。

ぼくはAIを使うとき、一発で正解を出させようとするより、

「ここは違う」

「こうなった」

「それじゃなくて、こっちが目的」

と情報を返しながら、質問そのものを少しずつズラしていくことが多い。

このへんは以前、

「AIは一発で正解を出す道具じゃない|プロンプトを磨く時と質問をズラす時」

という記事でも書いた。

あの記事では、AIとの往復で答えに近づいていく話が中心だった。

今回考えているのは、そのもう一段手前。

答えを修正する前に、自分が投げている問いそのものは合っているのか。

という話。

もちろん、「AIが変な答えを出したら全部質問した人が悪い」なんてことではない。

AIは普通に間違う。

分からないことでも、それっぽい顔して答えることがある。

そこは普通にAI側の問題だ。

ただ、

「AIがポンコツだった」

で終わる前に、

「あれ? ぼくの聞き方にも変な前提入ってないか?」

と一回見る。

それだけで、全然違うところに出口が見つかることがある。

答えを直す前に、問いを直してみる

商業施設で聞かれたナイフの話。

「的を射た質問をする」という古い知恵。

そして、今ぼくがAI相手に何度も質問をやり直していること。

ずいぶん離れた話に見えるけど、並べてみると同じところにつながっている気がする。

ぼくらは答えがうまく出ないと、

「もっといい答えはないか」

と探しがちだ。

でも、ときどき直すべきなのは答えじゃなくて、その前にある質問なのかもしれない。

「そもそも何を知りたいんだっけ?」

「この質問に、勝手な前提を入れてないか?」

「目的は本当にこれで合ってる?」

そこを変えるだけで、出てくる答えも変わる。

とはいえ、ここまで偉そうに書いておいて、ぼく自身「的を射た質問」なんて滅多にできてない。

AIに、

「いや違う」

「そうじゃない」

「ちょっと待て、最初からやり直そう」

って何回言ってるか分からないw

まあ、そのたびに質問を直せるようになっただけ、昔より多少はマシになったと思いたい。

少なくとも、あの日の商業施設で、

「ナイフですか? 任せてください!」

とか調子のいいことを言わなかった自分くらいは、褒めてやってもいいかなと思っている。

この記事を書いた人
福本 幸一

首都圏の零細警備会社に約30年勤務。現場の警備員から管制・人員配置・採用・教育・クレーム対応まで一通り担当しました。退職後はChatGPTやClaude Codeなどを使い、自分の経験や文体をObsidianに蓄積して活用する「外部知能」作りを実験中。タルムードなど古今の知恵も好きです。

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