「怒らない人」が強いんじゃない。怒っても持っていかれない人が強い

古今の知恵・処世術

自分の昔のX投稿を読み返していた。

普通に、殴りかけていた自分が出てきた。

JV現場に、初めて入った日。

他社の作業員に挨拶をしたら、こう返された。

「よろしくお願いしますって会社違うから関係ないんだで?!」

てめぇ殴ってくれっつってる?

わりと本気で、そう思った。

育ちが悪い自覚はある。それにしても、自分でちょっと引いた。

……飲み込んだ。

言葉にはしなかった。

じゃあスッキリしたかというと、そんなわけもなく。

その日の投稿には、こう書いてある。

「朝から気分最悪。挨拶大事よね」

それだけ。

怒りが湧かなかったわけじゃない。
怒りが消えたわけでもない。

ただ、その言葉を、実際には口にしなかった。

それだけの話だ。

でも、飲み込めなかった日も普通にある

きれいな話として終わらせたいところだけど、そうはいかない。

同じアーカイブの中に、もっと締まらない話が普通に残ってる。

別の現場でのこと。

作業員に「カラーコーン撤収して」と言われた。

最近、保安用資機材を警備員に触らせない会社の現場ばかり入っていたので、「自分のことじゃないよな」と周りを見回してたら、

「おめぇだよ!」

と、名指しされた。

ところがである。

別の日のぼくは、そんな立派ではなかった。

「おめぇじゃねぇだろ! いてまうど土方が!」

元気よく、そう返した。

殴り合いになるところだった。

……言うとるやないかい。

飲み込めてない。全然飲み込めてない。

さっきの話のすぐあとくらいの投稿に、これが普通に残ってる。

「あのときは我慢できたのに、今回はできなかった」

みたいな、成長の階段っぽい話にしたいところだけど、多分そういうことじゃない。

同じ人間が、似たような挑発に対して、飲み込める日もあれば、普通に言い返す日もある。

我ながら、感情制御の再現性が低すぎるw

「強い人とは、感情を抑えられる人」という言葉

こういう自分の投稿を見返しながら、あるとき、ユダヤの知恵として紹介されている言葉のひとつを知った。

「強い人とは誰か。自分の感情を抑えられる人である」

という趣旨のものだ。

(※これはタルムード本文そのものではなく、ユダヤの格言や逸話をまとめた資料の中で紹介されているものなので、「タルムードにはこう書いてある」と言い切れる話ではない。あくまで、こういう言葉が紹介されている、というくらいの温度で受け取ってほしい)

最初は、素直に「なるほどな」と思った。

でもすぐに、引っかかった。

じゃあ、カラーコーンの日の自分は弱くて、挨拶の日の自分は強かったってことか?

いや、待て。

同じ人間だ。同じくらい育ちが悪くて、同じくらい短気で、同じくらい理不尽が嫌いな人間が、一方では飲み込んで、一方では言い返している。

強さと弱さが日替わりで入れ替わる、みたいな話にするのは、なんか違う気がする。

そもそも。

「感情を抑える」って、具体的に何をすることなんだ?

「抑える」を「消す」で読むと、たぶん違う

自分なりに考えてみる。

「感情を抑える」

最初は、「怒りを感じないようにする」ことだと思っていた。腹を立てないようにする、みたいな。

でも、挨拶の日の自分は、普通に腹を立てている。

「朝から気分最悪」と、ちゃんと書いている。

感情、全然消えてない。

以前、自分の仕事のやり方を振り返って整理したことがある。そのとき出てきた言葉のひとつに、こんなのがあった。

「腹が立つ、疲れている、休みたい、といった自分の感情があっても、その感情だけで業務判断をしない」

これ、今のぼくなりに読み直すとどうなるか。

感情を抑えるというのは、感情を消すことじゃないんじゃないか。

腹が立ってもいい。悔しくてもいい。悲しくてもいい。

ただ、その感情の勢いだけで、次の行動まで決めてしまわない。

「殴ってくれって言ってる?」まで感情が動くのは、別にいい。

それを実際に口に出すかどうかは、また別の話として扱える。

挨拶の日は、その「別の話」として扱えた。

カラーコーンの日は、扱えなかった。

それだけなんだと思う。

泣きながらでも、必要な謝罪はできた

「感情を抑える」を「感情を出さない」だと勘違いすると、今度は逆方向でおかしくなる。

現場で事故が起きたと連絡が入った。

現地に飛んだ。

警備員がバック誘導中に車をこすった、という話だった。

代わりに謝るしかない。

泣いて謝った。

土下座までして、謝った。

盛ってない。本当の話だ。

なんとか穏便に収まった。

一息ついた。

そして終わらなかった。

また電話が鳴った。

次の対応。

感情は、思いっきり出ている。涙も出てる。声も震えてる。

それでも、必要な謝罪はできたし、その後の電話にも、ちゃんと対応した。

「感情を出さないことが強さ」だったら、これは成立しない話だと思う。

むしろ逆で、感情がだだ漏れの状態でも、必要な行動はちゃんとできる、という話なんじゃないか。

泣いたことは、弱さでも何でもない。

ただ、悲しかっただけだ。

我慢しろって話じゃない

ここまで書くと、「結局我慢が大事って話でしょ」と思われそうなので、はっきりさせておく。

違う。

黙って耐えろとか、怒るなとか、反論するなとか、そういう話じゃない。

怒っていい。

愚痴っていい。

抗議していい。

距離を取ってもいい。

必要な線引きは、普通にした方がいい。

営業電話のラッシュに苛立って、「仕事の電話で通話が3分を超える人は無能」「特に営業は頭叩き込んどけ」みたいなことをXで書いたこともある。

腹が立った。それを言葉にした。

相手に直接怒鳴り込んだわけじゃないけど、感情は隠していない。

飲み込むことも、言葉にして発散することも、距離を置くことも、抗議することも、全部「行動」の選択肢としてはアリだと思う。

ただ、その瞬間の感情だけに、全部決めさせなくてもいい。

言いたいのは、それだけだ。

感情と行動のあいだには、たぶん隙間がある

挨拶の日は、言葉を飲み込めた。

カラーコーンの日は、普通に言い返した。

事故の日は、泣きながらでも必要な仕事をした。

3つとも、同じ人間の話だ。

これを並べて、今のところぼくはこう思っている。

強い人っていうのは、感情が動かない人のことじゃなくて、感情が動いたあとに、次の行動を選べる隙間を少しでも持っている人のことなんじゃないか。

その隙間は、いつも同じ大きさで開いてるわけじゃない。

カラーコーンの日は、たぶんその隙間がほぼゼロだった。

「これができれば感情をコントロールできます」みたいな話にするつもりはない。

できてない日の記録が、ちゃんとX投稿として残ってるわけだし。

ここまで偉そうに書いたけど、明日また普通にキレてたら、笑ってくださいw

それでも、その一言を実際に口にするかどうかは、まだ選べる余地があるはず。

今のところは、そう思っておくことにしている。

この記事を書いた人
福本 幸一

首都圏の零細警備会社に約30年勤務。現場の警備員から管制・人員配置・採用・教育・クレーム対応まで一通り担当しました。退職後はChatGPTやClaude Codeなどを使い、自分の経験や文体をObsidianに蓄積して活用する「外部知能」作りを実験中。タルムードなど古今の知恵も好きです。

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