あるXの投稿を見た。
そこには、ざっくり言えば、
「広告費で殴り合えば資本のある会社が勝つ。でも、検索順位や信頼の積み上げは簡単には買えない。積み上げは当事者にしかできない」
という趣旨のことが書かれていた。
ぼくはそれを見た瞬間、
「これ、福本ラボの戦い方なんじゃないか?」
と思った。
大手メディアと情報量で殴り合っても勝てない。
更新本数で勝とうとしても無理がある。
でも、ぼくには長年の警備業界での経験がある。
管制もやった。
現場にも出た。
採用もした。
面接もした。
教育もした。
顧客対応もクレーム対応もした。
そこには、検索しても出てこない話が山ほどある。
だったら、その「当事者として持っている情報」を積んでいけばいいんじゃないか。
かなり納得感があった。
ただ、そのまま「なるほど!」で終わらせるのも危ない。
ネットで強く言い切られている話ほど、一回疑った方がいい。
ということで、その仮説をそのまま福本ラボの記事にぶつけてみることにした。
過去記事を見直したら、ちょっと恐ろしいことに気づいた
過去記事を読むとき、新しい基準を一つだけ作った。
この記事には、ぼく本人しか持っていない情報がちゃんと出ているか?
これだけ。
すると、いくつかの記事が引っかかった。
内容自体は間違っていない。
読みやすい。
整理されている。
見出しもきれい。
でも、
ぼくじゃなくても書けそうだった。
これが地味にショックだった。
たとえば、警備会社の管制について書いた記事。
元の記事では、
「人手不足の中で、人員配置を適切に行うことが重要です」
みたいな説明が中心になっていた。
間違ってはいない。
でも、実際の管制はそんなきれいな話じゃない。
ぼくが現場で考えていたのは、
「明日3人足りない」
みたいなところから始まる。
しかも、
・この人は能力的にこの現場へ出せるか。
・この人とこの現場責任者は相性が悪くないか。
・家から遠すぎないか。
・片側交互通行は難しくても、通行止めなら任せられないか。
そんな条件を一個ずつ組み合わせながら、人を置いていく。
こっちの方が、圧倒的にぼくの経験だった。
「できる警備員の特徴○選」も、だいぶ危なかった
別の記事では、
「できる警備員の特徴」
みたいな形で、いくつかの項目を並べていた。
これも記事としては読みやすい。
でも、書き直していくうちに、
「いや、ぼくが本当に言いたかったのはこれじゃないな」
となった。
ぼくが長年見てきて強く感じていたのは、
今起きていることではなく、次に起きることを見ている人は強い
ということだった。
車が来たから止める。
人が来たから誘導する。
それだけではなく、
「この車の流れなら次に詰まる」
「この歩行者の動きなら、ここで危なくなる」
という一歩先を見る。
ぼくの中では、そこがかなり重要だった。
でもAIで記事を整えた結果、それが
「周囲をよく見る」
「判断力がある」
「コミュニケーション能力が高い」
みたいな一般論に分解されていた。
いや、違うw
間違ってはいないけど、薄い。
AIは文章を整えるほど「その人」を消すことがある
この3本をリライトしていて、ひとつ共通点が見えた。
AIは記事をきれいに整えるとき、
- 情報を分類する
- 共通点をまとめる
- リスト化する
- 誰にでも分かる言葉に言い換える
- 結論を一般化する
という作業をかなり得意としている。
これ自体は便利だ。
でも、やりすぎると、
本人しか持っていなかったディテールまで削れてしまう。
30年分の現場経験が、
「できる人の特徴6選!」
みたいになってしまうわけである。
ちょっと待てとw
そこに30年分の汗と怒号と欠員とクレームが入っとったんやぞ、と。
もちろん、AIが悪いわけではない。
問題は使い方だった。
ぼく自身が、
「分かりやすくして」
「SEO記事っぽく整えて」
「構成をきれいにして」
と頼んでいた。
そりゃ、きれいになる。
そして、きれいになった結果、ぼくまで薄まった。
じゃあ、Googleは実際に何を評価しているのか
ここで少し調べてみた。
Googleは公式ドキュメントで、役立つコンテンツについて、
- 実際の経験に基づく専門性
- オリジナルな情報
- 独自の分析や価値
といった要素を重視する考え方を示している。
一方で、ここは少し注意が必要だ。
よくある、
「E-E-A-Tを上げれば順位が上がる」
という単純な話ではない。
Google自身も、E-E-A-Tそのものが単独のランキング要因ではないと説明している。
また、AIを使って書いた記事だからダメ、という話でもない。
GoogleはAIの適切な利用自体をガイドライン違反とはしていない。
問題になるのは、AIを使ったこと自体ではなく、
検索順位の操作を主目的に、付加価値の薄いコンテンツを大量生成するような使い方の方だ。
ここは今回の体験とかなり一致している。
AIを使ったことが問題だったのではない。
AIで一般化しすぎて、ぼくの中にあった一次情報を消していたことが問題だった。
参考:
Google Search Central
Creating helpful, reliable, people-first content
https://developers.google.com/search/docs/fundamentals/creating-helpful-content
Google Search’s guidance about AI-generated content
https://developers.google.com/search/blog/2023/02/google-search-and-ai-content
「大手には勝てない」も、少し雑だった
最初に見たX投稿では、
「広告では大手に勝てない。でも積み上げは当事者にしかできない」
という話にかなり惹かれた。
ただ、調べてみると、ここもそんな単純ではなかった。
大手企業には、
- ブランド力
- 強いドメイン
- 専門人材
- 取材体制
- SEO予算
- PRや被リンク獲得力
がある。
当事者への取材だってできる。
専門家を雇うこともできる。
つまり、
当事者性は個人だけの専売特許ではない。
そして、検索需要がなければ、どれだけリアルな話を書いても読まれない。
タイトル設計も必要だし、検索意図も必要だし、記事構成も必要だ。
結局、
「個人だから勝てる」
でも、
「大手だから絶対勝つ」
でもない。
そのテーマで、どれだけ具体的な一次情報を出せるか。
そこに検索需要があるか。
その両方が必要なんだと思う。
ぼくが考える「当事者性」
今回、福本ラボで使う「当事者性」という言葉は、少し狭く定義することにした。
その出来事や判断の現場に本人がいて、自分の意思決定として関わった経験から出てくる情報。
たとえば、
「警備員の配置は適材適所が重要です」
これは一般論。
でも、
「片交は任せられない。でも通行止めなら任せられる」
これは判断の記録だ。
「人手不足は大変です」
これも一般論。
でも、
「明日3人足りない状態から配置を組み始める」
となると、急に現場の温度が出る。
当事者性があるかどうかを見るなら、
- 固有の数字があるか
- そのときの条件があるか
- 自分が何を基準に判断したか
- 失敗や迷いが書かれているか
- 他の誰かでも同じ文章を書けないか
このあたりを見ると分かりやすい。
福本ラボでは、AIの使い方を少し変える
ここまで考えて、今後の方針がひとつ決まった。
AIに記事を書かせる前に、ぼくの中にある一次情報を掘らせる。
AIに、
「このテーマの記事を書いて」
と頼むより、
「このテーマについて、ぼくにしか分からない出来事や判断を質問して」
と頼む。
そして、
経験。
数字。
失敗。
迷い。
その場で考えたこと。
こういう材料を先に出す。
その後でAIに構成してもらう。
ぼくにとってAIは、
文章を大量生産する機械ではなく、
自分の中に埋まっている材料を掘り出す編集者
として使った方がいい。
今のところ、それが一番しっくりきている。
個人ブログが積むべきなのは、記事数だけじゃない
もちろん、これで検索順位が上がる保証なんてない。
当事者性を書けば必ず読まれる、という話でもない。
まだ実験中だ。
でも、ひとつだけかなり確信していることがある。
大手と同じ一般論を、同じような構成で、同じような言葉で書いていたら、
個人ブログである意味はかなり薄い。
ぼくが30年現場にいたなら、
30年いた人間にしか書けない情報を出す。
AIを使うなら、
それを消すためではなく、掘り起こすために使う。
たぶん、福本ラボが今後積んでいくべきなのは、
記事数でも文字数でもない。
当事者性の密度なんだと思う。
そして面白いことに、
AI時代だからこそ、
「その人にしか書けないもの」の価値は、むしろ上がっていくのかもしれない。
少なくとも、ぼくはしばらくこの仮説で実験してみるつもりだ。


コメント