AIにブログ記事を書かせるようになって、最初の頃よりはずいぶんマシになりました。
いかにもAIが書いたような、妙に丁寧で、妙に前向きで、最後には必ず「大切なのは〜です」とまとめたがる文章。
ああいうのは、だいぶ消せるようになった。
自分の経験や昔のSNS投稿、そのとき実際に考えていたことを材料として渡せば、記事にもそれなりの温度が出ます。
最近の記事を読んでも、「これAIが全部勝手に書いたんだろうな」という感じはかなり薄くなってきました。
でも、ずっと引っかかっていたことがあります。
これ、ぼくの文章じゃないな。
AIっぽくはない。でも、ぼくっぽくもない
何が違うんだろうと考えてみると、文章があまりにも平べったい。
教科書みたいなんですよね。
文章に凹凸がない。
感情が急に飛び出すこともないし、途中で余計なことを言い始めることもない。話がきれいに整理されて、順番通りに進み、最後にはちゃんと着地する。
優等生です。
ただ、ぼくはそんなに優等生な文章を書いてきた覚えがないw
テーマそのものは面白いんです(手前味噌かよw)。
30年近く働いた警備会社の話だったり、会社を辞めて時間の感覚が変わった話だったり、AIを使って仕事のやり方そのものを組み替えていく話だったり。
材料はかなり自分にしかない。
なのに文章だけ読むと、誰が書いても同じような形になっている。
そこが、ものすごく気に入らなかった。
ぼくの文章には、たぶん余計なものが多い
昔から自分が書いてきた文章を考えてみると、もっと余計なものが入っています。
途中で自分にツッコむ。
()の中で少し脇道へ行く。
妙に真面目なことを書いた直後に、急にふざける。
「いや、それ普通におかしいやろw」と差し込んで、また何事もなかったように続きを書く。
wも使う。
場合によってはwwになる。
文章術の教科書から見れば、削られる側のものばかりかもしれません。
でも考えてみれば、その余計な部分に書いた人間が出るんですよね。
情報だけ残して雑味を全部取ったら、読みやすくはなる。
ただし、誰の文章でもよくなる(それ、ブログとしてどうなんやw)。
問題は、AIが下手だったことではなかった
最初は単純に、「まだAIの文章力が足りないんかな」と思っていました。
でも、だんだん逆じゃないかと思い始めました。
AIが整えるのが上手すぎる。
しかも、こちらもAI臭を消そうとして、編集ルールをどんどん厳しくしていました。
勝手な比喩を入れるな。
本人が言っていない感情を作るな。
プロフィールから人物像を想像するな。
「福本ならこう言いそう」で、自虐や冗談を作るな。
これは今でも正しいと思っています。
以前はAIが、ぼくの経歴や過去の文章から「それっぽい福本」を勝手に作り始めることがありました。
頼んでもいないのに妙な比喩を入れたり、ぼくが言ってもいない自虐を始めたりする。
ぼくはこれを勝手に「福本チャレンジ」と呼んでいます。
本人よりAIの方が福本を演じ始める。
やめてくれw
だから、偽物を削るための編集ルールを作った。
ところが今度は、削りすぎた。
偽物の福本味だけではなく、本物の福本味まで一緒に漂白されていたんです。
「創作された個性」と「本人の雑味」は別物だった
そこで、編集ルールを少し変えることにしました。
新しい基準は単純です。
創作された福本味は削る。本人由来の雑味は残す。
AIが勝手にラーメンやゲームに例え始めたら削る。
ぼくが言ってもいない自虐を作ったら削る。
それっぽくするためだけに「w」を追加したら、それも削る。
一方で、実際の会話や過去の文章にある自己ツッコミ、悪ノリ、皮肉、急な短文は、読みやすさだけを理由に消さない。
たとえば、
「テーマそのものは面白いんです」
と書いたとします。
ぼくなら、そこでちょっと恥ずかしくなる。
だから、
「テーマそのものは面白いんです(手前味噌かよw)。」
になる。
一方で、一度言ったことをもう一度押したいときは、
「テーマは面白いのに、文章が面白くない(大事なことなのでw)。」
になる。
同じ()でも、役割が違う。
片方は照れ隠しで、もう片方は念押しと悪ノリです。
何でも「自分へのツッコミ」にすればいいわけではない。
この辺まで考え始めると、もう文章を書いてるというより、自分の文体を解剖している気分になってきますw
AIと一緒に、自分の文体を研究し始めた
そしてこの記事を書きながら、まさに同じことをやっています。
AIが出してきた文章を読んで、
「ここ、ぼくなら(手前味噌かよw)って入れるな」
と直す。
次は、
「いや、そこは(また自分で言うたw)じゃなくて、(大事なことなのでw)やろ」
と直す。
さらに、
「()は句点の後じゃなくて前な」
とか、
「! と? の後にはスペース入れて」
とか言い始める。
……何をやってるんでしょうか。
自分の文体を、AIと一緒に研究している。
どうも、そういうことらしいですw
でも、これが意外と面白い。
「自分らしい文章を書きたい」と思っていても、自分らしさが何なのかを細かく説明したことなんて、今までほとんどありませんでした。
書くときは、なんとなくやっていた。
そこへAIが入ってきたことで、初めて
「なんでこれは違和感があるんだ?」
「自分ならどこでふざける?」
「この()は何のために入っている?」
と、一個ずつ言葉にする必要が出てきた。
AIに自分の文章を書かせようとした結果、まず自分が自分の文章を知らなきゃいけなくなった。
これはちょっと面白い現象だと思っています(自分のことながらw)。
「人間っぽい文章」と「自分の文章」は違う
今回かなり大きかったのは、この違いでした。
AIに一次情報を渡せば、「人間っぽい文章」にはかなり近づけます。
自分が経験したこと。そのとき何を考えていたか。実際に何が起きたのか。
そこまで渡せば、一般論だけを並べたAI文章とはかなり違ってくる。
でも、それで完成ではない。
人間っぽい文章と、自分の文章は別物だった。
そこにはもう一段、書き手の癖がある。
何に引っかかるのか。
どこで腹が立つのか。
どこで笑うのか。
何をちょっと恥ずかしいと思うのか。
どこで自分に突っ込むのか。
何を何度も言いたくなるのか。
そういうものは、情報として渡しただけではなかなか文章に残らない。
むしろAIは、そういうデコボコを「読みづらさ」と判断して、きれいに均してしまうことがある。
そして、ぼくもそれを「編集が上手くなった」と勘違いしていました。
たぶん、余計なところに「ぼく」がいる
AIを使えば、文章を整えること自体はどんどん簡単になります。
誤字を直す。
構成を整える。
重複を消す。
わかりにくい部分を書き換える。
こういう作業は、もう人間よりAIの方が速い場面も多い。
だからこそ逆に、整えた結果として何が消えたのかを見る必要がある気がしています。
文章の癖。
変な間。
急な感情。
()の中の余計なひと言。
ちょっとした悪ノリ。
そういうものは、効率だけ考えればノイズです。
でも、そのノイズを全部消した文章を読んで、ぼくは思いました。
面白くない。
テーマは面白いのに、文章が面白くない(大事なことなのでw)。
それでは、ぼくが自分のブログを書く意味が少し薄くなってしまいます。
AIに記事を書かせたいわけではありません。
AIを使いながら、ぼくの記事を書きたい。
たぶん今やろうとしているのは、そのための調整なんだと思います。
……というわけで、今後このブログは少し文章がガタガタするかもしれません。
その方が、たぶん正常ですw


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