ある面接で、前の職場でかなり大きなミスをやった、という話をした人がいた。
会社全体でなんとかリカバーした、という話だった。ただ、具体的に何が起きたのか、どうやってリカバーしたのかは、聞いていない。というか、もう覚えていない。
覚えているのは一つだけ。その人が、その話を最後まで「自分のやらかし」として話したことだ。
言い訳をしなかった。会社がどうとか、上司がどうとか、そっちの方向に一度も逃げなかった。
聞き終わって、素直にこう思った。
この人、信用できそうやな。
すごくデキそうな人だった。
ただ、この人とは、結局それきりだった。まったく別の業種の会社への就職が決まって、そちらへ行った。同じ警備の他社に移った、という話じゃない。畑違いのところだ。
だからこれは、「いい質問をしたら、いい人材が採れました」という話じゃない。
一緒に働くことは、なかった。
それでも、あのときの印象だけが、やけに頭に残っている。
「面接で人は分かる」とは思っていなかった
首都圏の零細警備会社で、30年近く働いた。その間、何百人と面接してきた。
そこで得た結論は、「面接で人は分かる」ではない。逆だ。「面接で分かることは、思っているよりずっと少ない」。これは前に別の記事で書いた。
警備員は、資格がなくても始められる。だからいろんな人が応募してくる。
そのぶん、一般企業なら書類で落ちるような人も、かなりの数まざっていた。連絡がつかない。約束の時間に来ない。採用しても研修の途中で消える。「辞めます」の一言もなく着信拒否。
そういうことが、珍しくなかった。やりきれないとは思いつつ、それもある程度はこの商売の前提だった。
じゃあ疑ってかかっていたかというと、それも違う。
疑ってかかったら、採用という仕事は成立しない。一定数はバックレる。まともに話が通じない人も来る。それでも現場を回すには、その中から誰かを選んで、教えて、送り出すしかない。
美談じゃない。「何度裏切られても信じ続けた」みたいな話でもない。
一定数は外れる。それを最初から勘定に入れた上で、それでも選ぶ。
そういう商売だった。
長いあいだ、面接で見ていたもの
じゃあ、何を見て選んでいたのか。
受け答えの表情。声の感じ。態度。質問してから返事が返ってくるまでのテンポ。経験があるか、そしてその経験を「どう話すか」。
経験者なら無条件でいい、とは思っていなかった。時間に遅れない、挨拶ができる、そういうのは見るというより前提条件だ。
結局は、面接全体のなんとなくの印象を、総合で見ていた。
そして、その総合の印象は、けっこう外れた。
いい感じだと思って採った人が、研修明けに辞める。「この人なら」と思った直感が、何度も裏切られた。
辞める少し前に、質問を一つ足した
会社を辞めると決める、少し前。
何かの本で読んだ質問を、面接で聞くようにしてみた。どの本だったかは、もう思い出せない。
その質問はこれだ。
「これまで仕事で失敗した話を、聞かせてください」
面接に来る人は、基本的に自分をよく見せたい。放っておけば、うまくいった話をする。当然だ。ぼくが逆の立場でもそうする。
でも、それだと「調子のいいときのその人」しか見えない。
知りたかったのは逆の場面だった。自分に不利な話を、ごまかさず、面倒くさがらずに話せるかどうか。それができる人なら、その姿勢自体が、信用を置くときの手がかりになるんじゃないか。
そう思って、聞くようにした。
大半は「ふーん、普通やな」で終わった
実際に聞いてみると、返ってくる話の多くは、ぼくには薄く感じられた。
シフトを勘違いして遅刻した。報告を忘れていて、トラブルに気づくのが遅れた。
そういう話だ。
先に言っておくと、これを「ダメな回答例」として並べているわけじゃない。失敗が小さいこと自体は、悪いことじゃない。むしろ、大きなやらかしを軽い調子で話す人よりずっといい。
ただ、話が薄いと、聞いているこっちの興味も続かない。「で、そのあとどうしました?」と重ねて聞いても、「ふーん、普通やな」で終わることがほとんどだった。
これは答えた人が悪いんじゃない。たぶん質問の限界だ。面接で話す失敗談としては、そのくらいの無難な話を選ぶ人が多かった。
ただ、ぼくが見たかった「その人の輪郭」は、大半の答えからは、あまり出てこなかった。
だから、あの人の話が残っている
その質問をし始めて、最初の応募者だったわけじゃない。何人も聞いたあとだった。
薄い話をいくつも聞いたあとに、あの重大なミスの話が出てきた。
先に断っておくと、これは「何でも自分のせいにする人が偉い」という話じゃない。仕事のトラブルには会社の体制の問題も運もある。全部を一人で背負い込むのが正しいとも思わない。
ぼくが引っかかったのは、そこじゃない。
自分に一番都合の悪い話を、自分の側に置いたまま最後まで話した。
その一点で、ぼくは「この人は信用できそうだ」と感じた。
その人が実際に仕事ができたかどうかは、ぼくは知らない。一緒に働いていないんだから、確かめようがない。ぼくが感じたのは「すごくデキそう」まで。
その感触は、確かめられないまま、今も残っている。
「人を見抜く」と「信用を置く」は、たぶん違う
ここで、自分の中の言葉が一つ整理された。
ぼくはずっと、「面接で人を見抜けるか」で考えていた。そして「無理だ」という結論も、もう持っていた。
でも、あの人の話で起きたことは、「見抜けた」じゃない。
見抜いてはいない。何も確かめていない。
拾ったのは、「この人は、自分に都合の悪い事実を、自分のものとして扱えるらしい」という手がかり一つだ。
人を見抜くのは無理でも、どこに信用を置くかの材料なら、拾えることがある。
似ているようで、この二つは別のことだった。
古い問いの、向きの話
そんなことを考えていたとき、バビロニア・タルムードに、こういう趣旨の一節があるのを知った。
人が最後に裁きの場に立つとき、いくつかのことを問われる。その一つが、
「あなたは、取引を誠実に行ったか」というものだ。(長く引くのはやめておく)
意外だったのは、問いの向きだ。
「相手は誠実な人間だったか」ではない。「あなた自身が誠実に取引したか」を聞いている。
相手がどんな人間だったかは、ここでは問われていない。自分がどういう姿勢でその取引に向き合ったか、だけが問われている。
これを、そのまま採用の話に当てはめられるかというと、正直、自信はない。ぼくのやってきたことは、けっこう荒っぽい商売だった。1000人と会って、その中から現場に出せそうな人を見つける、みたいな感覚でやっていた時期もある。
ただ、視点の置きどころとしては、引っかかった。
面接をやっていた30年のあいだ、ぼくはずっと、応募者が信用できる人間かどうか、ばかり見ていた。
選ぶ側のぼくが、相手にどれだけ誠実に向き合っていたか。その問いは、当時は立てたことがなかった。今になって、この一節を読んで、初めて出てきたものだ。
信じることと、確かめることは、両立する
念のため、はっきりさせておく。
これは「人を信じよう」という話じゃない。
信用を置けそうな材料があったからといって、確認をやめるわけじゃない。面接の合否を必ず一度持ち帰ると決めていたのも、そのためだ。
信じることと、確かめることは、別の作業で、両方やっていい。
矛盾しない。
まずいのは、「この人はいい人に違いない」と思い込んで、確認を飛ばすこと。余裕がないときほど、それをやりたくなる。
「期待するから傷つく」について
昔の自分の投稿を一つ引いておく。
▎ そもそも期待してるから傷つくんだよ、とか訳知り顔で言うけど、信頼という寄る辺なくして社会が回っていくワケねーだろ。信
▎ 頼してるからこそ人と関われるんでしょ? 裏切られたらそりゃ傷つくよ。前提を覆すような人間とつき合ってられっか!!
バックレられ続けて、面接をすっぽかされ続けて、それでもぼくはこう書いていた。
期待値を先に下げておけば、裏切られても痛くない。そういうやり方があるのは分かる。
でも、期待をゼロにしたら、人を採ることも、一緒に働くこともできない。
ぼくは、関わる方を選んでいた。
それで、結局どうなのか
30年近く採用をやって、最後の方で、ぼくは物差しを一本足してみた。
自分に都合の悪い失敗を、自分のものとして話せるか。
これで人を見抜けるとは思っていない。見抜けないことは、もう知っている。
大半は「ふーん、普通やな」で終わった。一本足しても、そんなものだ。一人だけ印象に残って、その人とも結局それきりで、実際にどうだったかは今も分からない。当時はよく応募者にはバックレられるし、それは普通に腹が立っていた。
それでも、その物差しは捨てていない。
そしてあの古い問いを知って、もう一本、増えた。答えが出たわけじゃない。問いが一本、増えただけだ。「相手が信用できるか」を見るときに、「自分は相手にちゃんと向き合っているか」も、別の物差しとして横に置く。
一本にまとめられてはいない。二本、別々に持っている。
人は見抜けない。
それでも、どこに信用を置くかは、選べる。
そのくらいの結論で、今のところは止めている。


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