タルムードに、70年後に実がなる木を植える男の話があります。
ある日、ホニという人物が道を歩いていると、男がイナゴマメの木を植えていました。
実がなるまで70年かかる。
「そんなに時間がかかるのに、あなたはその実を食べられるのか?」
ホニがそう尋ねると、男はこう答えます。
自分がこの世に生まれたとき、すでに先祖が植えた木があった。だから自分も、子孫のために木を植えるのだ、と。
いい話です。
未来の誰かのために何かを残す。自分が成果を受け取れなくても、次の世代のために種をまく。
普通ならここから、
「目先の利益ばかり考えず、未来のために行動しましょう」
みたいな話になると思います。
でも、ぼくはこの話を読んで、なぜか会社員時代のことを思い出しました。
そして、ちょっと逆のことを考えました。
誰かのために木を植えることと、他人の畑で枯れることは違う
ぼくは長いこと会社員をやっていました。
もともとはワンマン社長が経営する会社で、ぼくは実質ナンバー2みたいな立場でした。
仕事を回す。
人が足りなければ何とかする。
トラブルが起きれば処理する。
社長が決めたことを現場へ落とす。
そんなことを長いことやっていました。
会社は、ぼくが辞める1年半ほど前に準大手の会社へバイアウトされ、その子会社になりました。
なので正確に言えば、最後の1年半ほどは「ワンマン社長の会社」ではありません。
ただ、ぼくが長年すり減っていた時期の大半は、その社長の会社を回していた時代です。
気がつけば、自分の時間も頭も、かなりそこに使っていました。
それで給料がものすごく良かったかというと、全然そんなことはありません。
むしろ、クソ安かったですw
それでも長く続けていた。
今考えると、なかなか不思議です。
その木は、誰のものだったのか
会社員が会社のために働くのは当たり前です。
給料をもらっている以上、それ自体は別におかしくありません。
ぼくも当時はそう思っていました。
ただ、タルムードの木の話と自分の会社員時代を並べてみると、ひとつ大きな違いがあります。
木を植えた男は、自分の意思で木を植えている。
自分も先人から受け取ったものがある。だから次の世代へ渡す。
そこには本人の意思があります。
では、ぼくの場合はどうだったのか。
長い時間を使って育てていたものは、結局のところ他人の会社でした。
もちろん、そこで働く社員もいたし、取引先もいた。仕事そのものに意味がなかったとは思いません。
でも、
その努力で育っているのは、自分の人生なのか。
そんなことを考えた記憶が、あまりありません。
毎日の仕事を回すことに精いっぱいで、そもそもそんな問いを持っていなかった。
外から見たぼくは、そんなにヤバかったらしい
さらに情けない話なんですが、ぼくは自分で劇的に目覚めたわけでもありませんw
あるとき、コンサルの人と働き方について話していました。
その人から、
「ずいぶん消耗しているように見えるけど、それをまだ続けられますか?」
というようなことを聞かれました。
ぼくは、
「まぁ、ずっとやってきたことなので……」
というような返事をしたと思います。
すると、そのコンサルの目から、すっと光が消えたように見えました。
なんというか、ちょっと憐れむような表情に見えたんです(あくまで個人の感想ですw)。
その顔を見て、
「あ、そんじゃマジでヤバいんや!」
と思いました。
自分では「まあ大変だけど、ずっとやってきたし」と思っていた。
でも、外から見ている人には、どうもそうは見えていなかったらしい。
同じ場所に長くいると、自分が置かれている状態って意外と分からなくなるものです。
忙しい。
疲れている。
給料には不満がある。
会社にも思うところはある。
でも、明日になればまた仕事がある。
それを何年も繰り返していると、多少おかしな状態でも「まあ、こんなもんか」と思えてくる。
ぼくの場合、それを外から見た人の一瞬の表情でようやく気づいたわけです。
辞めてから「人生、自分のものや」と思った
そして会社を辞めました。
辞めたあと、かなり強く感じたことがあります。
人生って、自分のものだったんだ。
当たり前ですw
当たり前なんですが、会社にいる間はその感覚がずいぶん薄くなっていました。
今日は何をするか。
何を勉強するか。
何を作るか。
どこに時間を使うか。
それを自分で決められる。
自由になったら全部うまくいく、なんてことはもちろんありません。
むしろ金の心配は増えるし、仕事は自分で作らないといけない。会社員より面倒なことだって山ほどあります。
それでも、
自分が何の木に水をやるのか、自分で決められる。
これはかなり大きな違いでした。
会社員が悪いわけではない
ここで「だから会社員なんて辞めて起業しろ」と言いたいわけではありません。
そんな単純な話でもない。
会社員でも、自分が納得して働いている人はたくさんいるでしょう。
仕事を通じて技術を身につけたり、人を育てたり、自分なりに何かを積み上げている人もいる。
それなら、それはちゃんと自分の人生にもつながっている。
問題なのは、
ずっとモヤモヤしているのに、それでも惰性で水をやり続けること。
誰のためにやっているのか。
何が残るのか。
自分はそこから何を得ているのか。
それを考えないまま10年、20年と過ぎていく。
ぼくはそれをかなり長いことやりました。
なので、あまり偉そうなことは言えませんw
ただ、一念発起して転職してもいいし、小さく商売を始めてもいい。
何かを変えるという選択肢は、たぶん思っているよりあります。
少なくとも「今までここでやってきたから」という理由だけで、自分まで枯れる必要はない。
70年後の実より、まず自分の畑を見た方がいい
タルムードの男は、自分が食べられないかもしれない実のために木を植えました。
それは、すごくいい話だと思います。
でも、ぼくはこの話を読んで、
「自分も誰かのためにもっと頑張らなきゃ」
とは思いませんでした。
むしろ逆です。
今、自分が水をやっている木は、本当に自分が育てたい木なのか。
そこを一度考えた方がいい。
誰かのために木を植えることと、他人の畑で自分が枯れることは違います。
会社員を続けてもいい。
転職してもいい。
自分で商売を始めてもいい。
何を選ぶかより、
自分の人生の時間を、何に使っているのか。
そこを自分で分かっていることの方が大事なんじゃないかと思います。
ぼくは、それに気づくまでずいぶん時間がかかりました。
まあ、自分の木を植える前に、他人の畑で30年くらい水やりしてた感じですw
今はようやく、自分の畑で何を育てるか考えています。
実がなるまで70年かかったら、それはさすがに困りますがw
出典:バビロニア・タルムード『タアニート』23a(ホニと、70年後に実るイナゴマメの木を植える男の逸話)


コメント