金が要らないとは言わない。ただ、金だけでもなかった、という話

古今の知恵・処世術

「豊かな人とは、自分の持っているもので満足できる人」

そんな言葉を最近知った。

なるほど、と思う一方で、正直ちょっと待てよとも思った。

だってぼくが会社を辞めるって決めた頃にやってたのは、瞑想でも断捨離でもなく、電卓アプリを開いて借金の残高を計算することだったから。

今日はその話をしようと思う。

退職を決めた頃、ぼくが計算していたのは感傷じゃなく借金の額だった

退職を決めた頃、頭の中にあったのは「これで自由になれる」みたいな綺麗な感情じゃなかった。

もっと生々しい数字の話。

退職支援してくれる人に連絡したら、辞めたら100万くらい入ってくる仕組みがあるらしいと分かった。

とりあえずその金で借金を圧縮する。

高知に帰れば物価も生活コストも下がる。

会社を興して、新しい収入も作っていく。役員報酬41万に有給40日を足せば、しばらくは左うちわでいける。

完済もそう遠くない。

……と、そのときは思っていた。(そう簡単ではなかったw)

当時のXにも、そのままそう書いていた。

我ながら、感傷ゼロで草。

でもこれ、たぶん珍しい話じゃないと思う。

30年近くいた会社を辞めるって決めたとき、頭に浮かんだのは「自由」とか「解放」みたいな言葉じゃなくて、通帳の残高と月々の支出だった。

「お金なんて気にせず、自分の心に従って決断しました」

みたいな話を美談として聞くことがあるけど、少なくともぼくの場合はそうじゃなかった。

むしろ逆。

お金の計算がちゃんとできたから、辞めるという選択肢が現実味を持った。

ここ、最初に断っておきたい。

これから「豊かさとは何か」みたいな話をするけど、「お金なんていらない」って話には絶対にならない。

金は、普通に要る。

今も普通に、金の心配をしている

じゃあ辞めた後、悟りきった顔で自由を謳歌してるかというと、それも違う。

これを書いているちょっと前、クラウドワークスで案件を探し始めて10日以上経ってもロクなものが見つからず、「こりゃあ天がぼくに仕事させたくないのかもなぁ?」みたいなことをXに書いていた。

半分ネタ、半分本気。

集まってくる話は妙に金払いが渋そうだったり、下手したら怪しかったりで、「そんなとこで働く気はねぇぞ」と強がってはみたものの、じゃあ代わりに何があるかというと、特にない。

実家暮らしと言えども、一定以上の稼ぎがないとマズい、というのも普通に自覚している。

「働いている自覚もないまま、そこそこ稼ぎを生み出さないとそろそろヤバい」

みたいなことを、つい最近も書いた覚えがある。

少なくとも、その投稿を書いた時点では、そう思っていた。

そしてこの記事を書いている今も、金の問題がきれいさっぱり消えたわけじゃない。

なので先に言っておくと、これは「会社を辞めたら金の不安から解放されました」という記事じゃない。

金の心配は、辞めた後もふつうに続いている。

これが今のところの現実。

それでも「もっと」を追ううちに、何かがおかしくなっていた

じゃあ会社員時代、お金のためにひたすら頑張っていたかというと、それも微妙に違う。

一つ、はっきり覚えているやりとりがある。

会社でちょっと高額の資材を買う必要があって、社長に相談したら、

「お前貯金あんだろ? 立て替えといてくれよ」

って軽く言われたことがあった。

これに、けっこう腹が立った。

貯金できるほど給料払ってるつもりなのかよ、と。

毎月どれだけ苦労してるか、延々と説教してやろうかと思うくらいムカついた。

でも冷静になって考えると、これって割と象徴的なやりとりだったと思う。

当時、会社の中でいちばん忙しかったのは間違いなく自分だったと思う。

なのに、それが給料や貯金として積み上がっている実感は、正直あまりなかった。

頑張れば頑張るほど、なぜか楽になっていく感じがしない。

これがずっと引っかかっていた。

働いた分だけ何かが増えるならまだ分かる。

でも実際は、働いた分だけ時間や体力が削れていって、それに見合うだけの何かが返ってきている実感が薄い。

これじゃ、いくら「もっと稼ぎたい」と思っても、いつまで経っても満たされないはずだ。

人生は「金・人・健康」に収斂する、と昔の自分が書いていた

で、こういうことをつらつら考えていたら、ふと昔の自分のポストを見返す機会があった。

そしたら2021年、まったく同じ日に2回もこんなことを書いていた。

「人生結局『金』『人』『健康』の3つに収斂するんやな」

「金、人間関係、健康の3つをバランス良く豊かに回すのが充実した人生ってことなら、どう生きるかの指針にもなるのかな」

……いや、答え、もう書いてるやんw

その前年、2020年にもこんなことを書いていた。

「金持ちになんてならなくてもいいけど、毎月給料日前にどうにもならんくならんでも過ごせるくらいならなれないとおかしいよね?」

見返してちょっと笑ってしまった。

何年もかけて今さら気づいたつもりでいたけど、当時の自分はすでに同じ結論に薄々たどり着いていた。

ただ、日々の忙しさに埋もれて、その考えを実際の働き方に反映させられていなかっただけ。

ここで大事なのは、

「豊かさ=金じゃない」って話じゃない、ということ。

金は要る。3つのうちの1つとして、ちゃんと要る。

でも金だけを見て「豊かかどうか」を測ると、たぶんズレる。

人間関係が壊れていたり、健康を犠牲にしていたりしたら、いくら口座の数字が増えても、それを「豊かになった」と胸を張って言えるかというと、たぶん言えない。

逆に、金がそこそこしかなくても、人間関係も健康もそこそこ保てているなら、それはそれで一つの豊かさの形なんじゃないか。

そういう話。

「持っているもので満足する」って、欲を捨てることなのか?

ちょうどそんなことを考えていたタイミングで、ユダヤの知恵として紹介されている、こんな言葉を見つけた。

「豊かな人とは、自分の持っているもので満足できる人のことである」

正直、最初に読んだときの感想は、

「じゃあ向上心はどうなるん?」

だった。

もっと稼ぎたい。

金銭的に困りたくない。

仕事や人生をもっと良くしたい。

こういう欲求、ぼくは普通に持ってる。

今もある。

これを「はい、満足しましょう」で片付けられたら、たぶん納得できない。

でも、しばらく考えて、ちょっと違う読み方があるかもしれないと思うようになった。

この言葉は、たぶん「新しいものを求めるな」っていう話じゃない。

今すでに持っている大事なものを、ちゃんと認識しろ、って話なんじゃないか。

金・人・健康で考えると分かりやすい。

金だけを増やそうとして、健康や人間関係を犠牲にする。

あるいは人間関係を守ろうとして、金銭面を完全に投げ出す。

どれか一つだけを極端に優先すると、トータルで見たときに、むしろ豊かさが減っていることがある。

「もっと欲しい」と思うこと自体は、別に悪くない。

問題は、その「もっと」のために、今持っている何を壊しているか。

足るを知るというのは、増やすのをやめることじゃなくて、今何を持っていて、それを壊してまで次を追う価値があるかを、一回立ち止まって見ること。

今のところ、ぼくはそういう風に理解している。

まだ答えは出ていない

というわけで、ここまで偉そうに書いてきたけど、正直に言うと、まだ全然答えは出ていない。

金も欲しい。

健康もキープしたい。

人とのつながりも大事にしたい。

全部欲しいw

欲張りですみません。

でも、これはこれでいいんじゃないかとも思う。

「もう欲はありません」「今あるもので十分満足です」なんて悟った顔で書いたら、それこそ嘘になる。

ただ、一つだけ、これからも自分に問い続けたいことがある。

何かを増やそうとしたとき、それは残り二つを壊してまでやる価値があるのか。

収入は増えたけど健康を壊した。

仕事では結果を出したけど人間関係が壊れた。

自由は増えたけど生活できるだけの金がなくなった。

どれも、単純に「豊かになった」とは言い切れない気がする。

これが唯一の正解かどうかは、正直まだ分からない。

今のぼくの、現時点での仮説くらいに思っておいてほしい。

とりあえず、次に「もっと欲しい」と思ったときは、一回だけ、何を壊そうとしてるか確認してから動こうと思う。

この記事を書いた人
福本 幸一

首都圏の零細警備会社に約30年勤務。現場の警備員から管制・人員配置・採用・教育・クレーム対応まで一通り担当しました。退職後はChatGPTやClaude Codeなどを使い、自分の経験や文体をObsidianに蓄積して活用する「外部知能」作りを実験中。タルムードなど古今の知恵も好きです。

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