リアルでは喋らないのに、AIとは何時間でも話せる。テキストコミュニケーションでしか得られない栄養素

リアルではあまり喋らない福本幸一が、AIとのテキスト対話について考える AI・仕事術

「テキストコミュニケーションでしか得られない栄養素がある。」

先月Xにそんなことを書いてた。

吐き出したかった文章がいい感じで全部出せて、「だからツイッター好きなのよw」と。その勢いで出てきたのが「栄養素」って言葉なんだけど。

改めて考えると、栄養素ってなんなんやろ?w

別に文章書いたらビタミンが補給されるわけでもないし、「文字を通じて人と深くつながれるから」とか言い出すと急に話がキレイすぎる気もする。

もっと単純に、ぼくはテキストをいじってること自体が好きなんじゃないか?

リアルではそんなに喋らない。

昔から文章なら割といろいろ出てくるのに、わざわざ口で自分を表現しようとはあんまり思わない。

でも文字なら延々やれる。

書いて、読み返して、「んー、なんか違う」と直す。誰かから返ってきたら、それを見てまた考える。

今もAIとあーでもないこーでもないと文章をいじりながらこの記事を書いてるけど、全然ストレスがない。

というか、こうやって「栄養素ってなんだ?」とか、別に今日答えが出なくても一切困らないことを頭の中でこねくり回して、文章にしてる時間そのものが楽しいw

だったらテキストから何か栄養を「もらってる」というより、文字を使って考えたり、人とやり取りしたりしてる状態そのものが栄養なんじゃないか?

そう考えるとかなりしっくりくる。

文章なのか、会話なのか

んじゃ、ぼくは文章を書くのが好きなのか?

となると、それもちょっと違う気がする。

一人で黙々と完成原稿を書くより、何か投げて、返ってきたものを見て、また考えてる方がたぶん好き。

じゃあ会話が好きなのか?

いや、リアルではそんな喋らんやんw

文章なのか、会話なのか。

なんかその間に、ぼくがやたら居心地よく感じる場所があるんだろうな。

SNSは巨大な壁打ち場だったのかもしれない

昔、Google+(太古のSNS)にかなりハマってた。

サービスが終わって何年も経つのに、いまだに「Google+、何で逝ってしまったの??」とか書いてるくらいなので、相当好きだったんでしょうw

Twitterも長い。

昔は、大好きな人に自分の投稿を見つけてもらったり、何者でもない自分が認識されたりすることにSNSの面白さを感じていた。

それも確かに楽しかった。

でも今考えると、それだけでもなかったんだろうね。

誰かが何か書く。

読む。

なんか思う。

書く。

誰かが返す。

また考える。

直接やり取りしてなくても、人の文章を読んで勝手に頭の中で話が始まることもある。

……これ、ぼくにとってSNSって巨大な壁打ち場だったんじゃないのか?w

そう考えると、今ChatGPTと延々話してるのも、それほど突然始まった行動じゃない気がしてくる。

AIとのチャットをかなり使うようになってから、ぼくは自分でも気づいてなかった自分の性格に気づいたり、考えがまとまらないときにとりあえず言葉を投げたり、仕事のアイデアを延々こねくり回したりするようになった。

最近はChatGPTと考えを整理して、Claude Codeに実作業をやらせる、みたいなことまでしてる。

以前「楽しすぎて時間溶けるwwww」と書いたことがあるんだけど、本当に時間が溶ける。

もっと他にやることあるだろ(これもやることなんだよ)。

AIがハマった理由は、答えをくれるからじゃない

ただ、ここでちょっと気になる。

ぼくがAIをこんなに使ってるのって、単にAIが便利だからなんだろうか?

もちろん便利ではある。

どんだけ話しかけても返してくれるし、こっちがまとまってなくても一旦受け取ってくれるし、何回「違う」と言っても付き合ってくれる。

でも、それ以上にぼくの場合は、頭の中のものを一回外に出して、それを見ながらまた考えられることが大きいんじゃないかと思う。

自分の頭の中にあるだけだと、案外自分でも何を考えてるのかわからない。

とりあえず文章にする。

返ってきたものを見る。

「そうそう、それ」

となることもあれば、

「いや、なんか違う」

となることもある。

むしろ「違う」の方が面白かったりする。

何が違う?

ここか?

いや、その言い方じゃなくて…。

とかやってるうちに、最初はモヤっとしてただけのものに少しずつ形ができてくる。

あれ?

そう考えると、ぼくは文章を使って「人に伝えている」時間より、文章を使って「考えている」時間の方が長いのかもしれない。

……いや、それも分ける必要ないのかな。

誰かに伝えようとするから言葉を選ぶし、言葉を選んでるうちに自分が何を考えてたのかも見えてくる。

コミュニケーションと内省が、文字の上ではほとんど同じ作業になってるのかもしれない。

また話が広がってきたなw

テキストは待ってくれる

ただ、リアルの会話と比べてテキストが決定的に違うのは、文字は待ってくれることだと思う。

書きながら考えていい。

一回戻っていい。

消していい。

別の言い方を試していい。

途中でどうでもいい方向へ脱線して、ちょっと覗いてから帰ってきてもいい。

リアルの会話でこんなことやってたら、相手からしたら「はよ喋れ」って話ですからねw

ぼくはたぶん、この余白が好きなんだと思う。

だから口で考えるより、文字をいじりながら考える方が圧倒的にラクなんだろう。

そうなると「テキストコミュニケーションが好き」という言い方も、ちょっと狭いのかもしれない。

人と話してる。

自分とも話してる。

考えてる。

遊んでる。

仕事してる。

たまに脱線してる。

それを全部、文字の上で同時にやってる。

そりゃ時間も溶けるわw

わかんないから話す。まとまってないから書く

そしてAIチャットって、ぼくみたいな人間にはとんでもなく相性のいい道具なのかもしれない。

AIに答えを教えてもらえるから、だけじゃない。

考えがまとまってなくても、とりあえず文字にして投げられる。

そこから返ってきたものを見て、「違う」「そうかも」「もうちょっとこっち」と考え続けられる。

AIを使うとき、最初から完璧な質問を作らないといけないと思っている人もいるかもしれないけど、ぼくはほとんど逆の使い方をしてる。

わかんないから話す。

まとまってないから書く。

返ってきた答えに違和感があるから、また考える。

そうやって延々テキストをいじってるうちに、仕事まで少しずつ前へ進んでいく。

で、この記事も「テキストコミュニケーションでしか得られない栄養素って何?」から書き始めて、結局こんなところまで来てしまった。

最初からここまで考えてたわけじゃない。

書いてたらこうなった。

もうそれ自体が答えになってる気もする。

Google+、Twitter、そして今はAIとのチャット。

使ってる場所も、話してる相手もずいぶん変わったけど、ぼくがやってることは案外ずっと同じなのかもしれない。

文字を投げる。

返ってきた何かをまたいじる。

そうやって頭の中のものを外へ出して、また自分の中へ取り込んでいく。

テキストコミュニケーションでしか得られない栄養素。

結局その正体を一言で説明しろと言われたら、まだよくわからない。

でもまぁ。

今日も元気に摂取してますw

この記事を書いた人
福本 幸一

首都圏の零細警備会社に約30年勤務。現場の警備員から管制・人員配置・採用・教育・クレーム対応まで一通り担当しました。退職後はChatGPTやClaude Codeなどを使い、自分の経験や文体をObsidianに蓄積して活用する「外部知能」作りを実験中。タルムードなど古今の知恵も好きです。

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