ここ最近ずっと「自分専用の外部知能を育ててる」という話を書いている。
過去のX、Obsidian、索引、判断の記録。自分の経験と判断を、AIが後で使える形にして残す。やってることの芯はずっと一つだ。
なのに、育ててるうちに気づいた。
芯は動いてないのに、「育て方」のほうがどんどん変わっていく。
新しい技術が来るたびに、それまでのやり方の上に次のやり方が乗る。この前この話を人にしてて、自分で出た言い方が「ガーデニングしてる途中で新しい技術が次々来て、栽培法が世代交代し続けてる感じ」だった。
悲壮感はない。届いたやつを、だいたい笑いながら植え替えてる。
今日はその世代交代の記録です。
最初は、過去のXを放り込んだだけだった
いちばん最初にやったのは、過去のXを3万件以上ダウンロードして、その中から「自分が濃く出てる投稿」をAIに選ばせることだった。バズった投稿じゃなくて、判断とか価値観とか文体が出てるやつ。最終的に250件くらいまで絞って、Obsidianに入れた。
このときは、
過去の自分を、そのまま外部知能として使えるんじゃないか
と思ってた。
(この話は前に書いた →
自分のXを3万件掘り返して、”自分専用の外部知能”を作り始めた話)
でも、放り込んだだけでは動かなかった。
警備会社時代の記事を書こうとしたら250件じゃ足りず、警備の投稿だけをもう一回掘り直すことになった。掘ったやつをAIに渡したら、今度は昔の投稿を切り貼りしたような、ぼくっぽくない文章が出てきた。そこから「過去ログは文章の部品じゃなく、当時こ
う言ってたを確認する一次資料として使う」というルールに変えた。
(このへんも記事にした →
「自分専用の外部知能」を動かしたら、自分じゃない文章が出てきたw)
保存する仕組みから、必要なところだけ掘り返せる仕組みへ。ここで一段変わった。
今振り返ると、資産になったのは3万件そのものじゃなかった。テーマが決まってから改めて掘り直した100件強の方だった。外部知能というより、鉱山+採掘機みたいな感じだった。
実際、このルールに変えたあとは、採用の記事も管制の記事も、ちゃんと書けるようになった。保存した瞬間に完成するわけじゃなかった。今の判断や仕事にもう一度使われたとき、初めて働き始める。
次に、「なぜそうしたか」を残すようにした
それでもまだ足りなかった。
情報は残るんだけど、判断が残らない。
記事を作るたびに「前も似たようなこと考えたな」で終わって、また同じところで悩んでる。
だから、単なる情報とは別に、
過去の判断・うまくいったこと・失敗したこと・次に使えるルール
を、次回へ持ち越す形で残すようにした。
たとえば「記事の文章が大きく壊れたら、部分修正を重ねずに元資料から作り直す」とか。一回痛い目を見て決めたことを、記事制作の手順のほうに書き足しておく。次の記事から、同じ失敗をしにくくなる。
Obsidianが勝手に賢くなったわけじゃない。失敗した人間がルールを更新して、そのルールをAIが次も読める場所に置いた、というだけだ。
でもこれが、ぼくのやりたかった「育てる」にわりと近かった。
そこに、Claude Codeの新機能が来た
8月の終わりに、Anthropicから、ClaudeCodeの案内メールが届いた。サブエージェントが永続メモリを持てるようになる、という話だった。
専門のAIに設定をしておくと、そのAIがセッションをまたいで自分専用のメモを持てる。前回何を直されたかを、次の回に持ち込める。
見た瞬間、頭の中でカチッとハマった。
判断を持ち越すために手で組んでたことが、機能のほうに用意されてた。
「これ、うちのやつに挿せるわ」と思った。挿す先が先にあったから、そう思えた。
正直、この手のニュースは毎週のように流れてくる。全部に反応してたら身がもたないので、ほとんどは「へー」で通り過ぎる。今回それが「あ、これ、あの部分に使える」に変わったのは、使う場所をすでに持ってたからだ。
で、最初の専門AIとして fukumoto-editor を作った。
役割は「福本風の文章を書くAI」じゃない。それだと、ぼくが一番きらいなやつになる。
ぼくの検品結果から学んで、同じ編集ミスを次から少しずつ減らす編集者。
これで設計した。
させなかったことのほうが多い
新機能の設定自体は大したことない。ファイルを書いて再起動するだけだ。
監査でチェックさせてるのは、こういうところ。
- 過去記事と同じ結論・同じオチを繰り返してないか
- 「一般論として正しいだけ」の文章に薄まってないか
- 格好いいだけで中身のない締めになってないか
- 「当時どう思ってたか」と「今振り返ってどう思うか」が混ざってないか
- 本人が言ってない感情を勝手に足してないか
- AIが創作したセルフツッコミが混ざってないか
ただ、設計でいちばん気をつけたのは、させなかったことのほうだ。
AIに「福本とはこういう人間だ」と勝手に決めさせない。
新しく見つけたルールは、まず「暫定」で登録する。「これは確定」に格上げするのは、ぼくが確認してから。似た指摘が何回か出ても、AIが勝手に「もう確定でいいですね」とはやらせない。昇格の候補として出してくるところで止める。
外部知能の正式なルールに上げるのも、自動ではやらない。ぼくが「これは残す」と言ったものだけ、あとから手で移す。
AIが「学ぶ」と言っても、放っておいたら勝手に本人像を作り上げて完全自動で回る、みたいな話じゃない。本人が承認したものだけが残る。 それ以外は暫定のまま、いつでも消せる状態で置いてある。
テストで終わらせなかった
fukumoto-editor は、作って動かして「おお、動いた」で終わり、にはしなかった。
そのあとの福本ラボの記事制作で、実際に使った。
いまの流れはこうなってる。
ぼくが材料を出す → Claudeが初稿を書く → 専用の編集エージェントが監査する → ぼくが最終確認する →本当に使えそうな学びだけ次回へ残す
たとえば、30年続けた警備の仕事を辞めた理由の記事。
このとき「当時の動機」と「今からの後知恵」を本文で分ける、という指摘が監査から出てきた。景気がいい頃にフェラーリを買ってた社長の話を「今から思えば、社長になってたら稼げたのかも」と書くのは、当時それを望んでたかとは別の話だ。混ぜると、退職理由が「出世できなかった挫折」に化ける。
引き継いだ施設で2人の警備員を交代させた記事でも、当時のXの言葉と今の振り返りの言葉がそろわない、という話が出た(これは記事本体でも書いた)。
前は、そういうズレをAIがきれいに整えて片方に寄せてしまってた。いまは監査がそのズレを記事をまたいで拾って、「回顧記事では当時と今を分ける」というルールとして貯めるようになった。
外部知能が、「過去を検索する道具」から、「記事を作るたびに編集の判断を貯めていく相棒」に変わった。
古いのは、どれも捨ててない
ここまで振り返って、2つ思うことがある。
1つ目。古い層は、どれも捨ててない。
Xのアーカイブ、Obsidian、索引、判断の記録、編集ルール。
新しい技術が来るたびに前のを捨ててきたわけじゃない。前の層が、次の技術を挿すための土台になってる。索引と一次資料のルールがなかったら、fukumoto-editor に「検品から学べ」と言っても、学ぶ材料がなかった。
2つ目。新しい技術は、待ってれば来る。
これはもう、ぼくが何もしなくても来る。来月もどうせ何か来る。
でも、使う場所を持ってないと、来ても「へー」で終わる。
前の世代を積んできたぶんだけ、流れてくるニュースのいくつかが「これ、あそこに使える」に変わる。
だから、完成形はたぶんない。
仕組みを完成させたと思ったら、また何か来て、その上に次のやり方が乗る。ぼくの場合、いまはここまで来てて、次に何か届いたら、たぶんまた笑いながら植え替える。
それだけの話です。いまのところは、そう思ってる


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